旭川地方裁判所 昭和40年(ヨ)286号 判決 1966年4月12日
申請人 田村敬子 外一名
被申請人 日本赤十字社
主文
申請人らが、いずれも、被申請人に対して雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める。
被申請人は、申請人ら各自に対して、昭和四〇年一一月一四日以降昭和四一年三月三一日までの間の月額金二万円の割合による金員を即時に、昭和四一年四月一日以降同年同月一二日までの間の月額右同額の割合による金員を同年同月一六日に、それぞれ支払え。
訴訟費用は、被申請人の負担とする。
(注、無保証)
事実
申請人ら訴訟代理人は、主文第一項同旨並びに「被申請人は申請人ら各自に対し、昭和四〇年一一月一四日以降、申請人らから被申請人に対して提起する解雇無効確認請求訴訟の判決確定に至るまで、毎月一六日に、月額二万六〇〇〇円の割合による金員を支払え。申請費用は被申請人の負担とする。」旨の判決を求め、
申請の理由として、
一、被申請人日本赤十字社は、特殊法人であり、その業務の一環として旭川赤十字病院(以下単に病院という)を経営している。申請人らは、昭和三九年四月一日被申請人に雇用され、看護婦として右病院に勤務し、且つ、同病院の従業員で組織する旭川赤十字病院労働組合(以下単に組合という)の組合員である。
二、被申請人は、昭和四〇年一一月一三日申請人らに対し申請人らを解雇する旨の意思表示をした(以下これを本件解雇という)。
三、本件解雇は、次に述べる理由により、無効である。
(一) 先ず、本件解雇は、不当労働行為である。
申請人らは、昭和四〇年一一月六日組合の決定に基づき、日韓条約反対の国会請願のための署名集め及び資金カンパと安保条約破棄日韓条約反対日赤病院実行委員会名義のビラの配布を病院の第七号病棟の入院患者を対象として行つた。
本件解雇は、被申請人が組合及び申請人らの正当な組合活動である右の行為を嫌悪してなしたものであるから、不当労働行為であつて、無効である。
(二) 本件解雇は、被申請人が解雇権を濫用したものである。
本来、解雇は、如何なるものであれ、客観的妥当性を有することを要する。しかるに本件解雇は、次に述べる理由により、その妥当性を欠くものであるから、無効である。
(イ) 先ず、本件解雇は、筋違いのものである。
患者は、病院の処遇に対し多くの不満をもつているが、たまたま申請人らが前記行為をしたことから、これを病院側の行つているものと誤認し、病院に対する日頃の不満を前記行為に対する不満という形で爆発させたのである。しかるに被申請人は、問題をすり替え、患者の右不満は専ら申請人らの前記行為に対するものとなし、自己の責任を申請人らに転嫁して本件解雇に出たものである。
(ロ) 患者は、決して申請人らの責任を追求すべきことを求めているのではなく、日赤病院実行委員会に対して患者として問うべきことを病院に問うているに過ぎず、申請人らが、前記行為によつて看護婦としての職務の体面を汚したとか、信用を失わしめたとか評価すべき筋合ではない。
(ハ) 申請人らは、患者に対して前記行為を無差別に行つたものではなく、療養に支障がないように配慮し、或いは賛意を表する者に特別に依頼して、これをしたものであり、必要最少限で行つたものである。
(ニ) 被申請人は、申請人らが前記行為の後病院側による事情聴取に応じなかつたことから、情状重しとするものゝ如くであるが、組合は匿名組合員の制度を設けざるを得ない程病院から介入を受け、組合としてはかゝる介入については極度の警戒をしているものであり、而も申請人らは当時匿名組合員であり、若し事情を明らかにすれば、病院側に対し右介入を許す結果になるので、申請人らとしては、組合組織防衛のため、敢て前記行為の事情を秘したものである。されば、これを以つて申請人らの情状重しとの評価を受くべき筋合ではなく、その責任は、組合活動に介入する病院側に存する。
(ホ) 本件解雇は、実質上懲戒解雇であるが、解雇は労働者にとつて極刑であるから、仮に申請人らの前記行為が何らかの懲戒事由に該当するとしても、解雇するのは苛酷に過ぎる。
四、申請人らは、目下被申請人に対し本件解雇無効確認の訴を提起すべく準備中であるが、申請人らは労働者であつて、被申請人から支払を受ける賃金のみで生計を維持しているのであり、本案判決の確定をまつていては、著しい損害を被る虞れがある。なお、本件解雇当時申請人らの賃金は、いずれも月額二万六〇〇〇円であつて、毎月一六日に被申請人から支払を受けていた、と述べた。(疎明省略)
被申請人訴訟代理人は、「本件申請は、いずれも、これを却下する。申請費用は、申請人らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、
一、申請人らが申請の理由として主張する事実中、一の事実については、申請人らが組合員であることは、これを否認するが、その余は全部認める。二の事実は、これを認める。三の(一)の事実については、申請人らが、その主張の日、その主張の如き署名集め及び資金カンパとビラ配布を、病院の第七号病棟の入院患者に対して行つたこと(以下これを本件行為という)のみ認め、その余はすべて否認する。三の(二)の主張については、先ず、これは、本件口頭弁論終結の間際になつてなされたものであつて、時機に遅れて提出された攻撃方法であるから、その却下を求める。若しこれが容れられないとすれば、右主張については、本件解雇が実質上懲戒解雇であるとの点を除き、全て争う。四の事実は争う。なお、本件解雇のなされた当時の申請人田村の賃金月額は、二万三五〇二円であり、申請人松本のそれは、二万四五三八円であつた。
二、本件解雇は、不当労働行為ではない。
(一) 本件解雇は、申請人らが本件行為をしたためなされたものであることは、後述のとおりであるが、本件行為は、組合の正当な組合活動とは言い得ないものである。
(イ) 先ず、申請人らは組合員ではない。本件行為は、これのなされた諸種の状況から判断して、組合の決定に基いてなされたものとは認め難い。従つてこれは、労働組合の行為ではない。
(ロ) 仮に、本件行為が組合の決定に基づいてなされたものとしても、本件行為は、専ら政治的意図の実現を目的としたものであつて、労働者の労働条件に関するものではなく、また、使用者としての病院に対するものでもないから、法の保護を受ける労働組合の正当な行為ということはできない。
(ハ) 仮に、右の主張が認められないとしても、本件行為は次の事情からみて、労働組合の正当な行為とは到底言い得ないものである。すなわち、
病院の第七号病棟は、開放性結核患者の重症者のみを収容しているものであつて、患者の大半は、経済的に困窮している者である。申請人らは、この病棟の患者の看護を担当していた看護婦である。被申請人は、日頃看護婦に対し患者から金品を求めることを厳禁しているのであるが、生活社会から隔離されて入院治療に専念している患者に対して、その世話をしている受持の看護婦が制服を着用したまゝ、署名やカンパを要請することは、それ自体無言の圧力であり、患者としては到底これを拒み得ない立場に在るものといわなければならない。また、それは、医学的に見ても、結核患者の治療上重大な影響を与えることが充分に予測されるのである。されば、申請人らのした本件行為は、道義上も、病院経営者としての立場上も絶対に許すことのできない性質のものである。
(二) 仮に、申請人らが組合の組合員であり、また本件行為が組合の決定に基づいてなされたものであるとしても、被申請人は、そのことを知らなかつたし、また、知る由もなかつたから、本件解雇は被申請人において本件行為が組合及び申請人らの組合活動であるとの認識を全くもたずにこれをしたものである。従つて被申請人には、不当労働行為の意思が全くなかつた。
(三) 申請人らの本件行為は、被申請人日本赤十字社の就業規則第九二条第七号所定の「職務に関して不当に金品その他を受取り……たとき」に該当すると共に同条第九号、第九一条七号所定の「職員たる体面を汚し、又は信用を失う行為があつたときで、情状重いとき」に該当するので、本来ならば、被申請人は申請人らを懲戒解雇するところであつたが、申請人らの年令等を考慮して、前記就業規則第五五条所定の普通解雇事由たる「已むを得ない事業上の都合」があるものとして、申請人らを普通解雇にした。これが本件解雇である。
三、本件解雇は、被申請人が解雇権を濫用したものではない。
本来、使用者は、その使用している従業員を解雇する自由をもつているのであるから、使用者が解雇権を濫用したといえるのは、解雇が社会通念上あまりにも不当と認められる場合に限るのである。しかるに本件解雇は、次に示す事情からみて些かも不当のものではない。
(一) 本件解雇の原因となつた申請人らの本件行為は、
(イ) 既に述べたとおり、道義上も、病院経営者の立場上も、到底これを許すことのできないものである。
(ロ) 患者に対し、一様に、即座に、強い不満を感じさせた。そのため、病棟内のふん囲気が変つたほどである。
(ハ) 前例もなく、また、他にも例を聞かないものである。
(ニ) 既に述べたとおり、被申請人の就業規則所定の懲戒解雇事由に該当するものである。
(二) 申請人らは、本件行為をした後になつても、その非を改める意思が全くない。
(三) 本件解雇の手続は、就業規則所定の人事委員会に諮り、その意見を徴したうえでなされたものであるが、右意見は、懲戒解雇相当というにあつた。
(四) 被申請人は、既に述べたとおり、申請人らのことを考え、申請人らを懲戒解雇にせずに、普通解雇するに止めた。
(五) 申請人らは、未だ独身であつて、家庭を支えておらず、かつ、看護婦の資格を有しているから、他に就職するのは容易である、
と述べた。(疎明省略)
理由
一、申請人両名は、昭和三九年四月一日被申請人日本赤十字社に雇用され、被申請人経営にかゝる旭川赤十字病院(以下単に病院という)に看護婦として勤務していたものゝところ、昭和四〇年一一月一三日被申請人から解雇の意思表示を受けたことは、当事者間に争がない。
二、そこで、本件解雇は、不当労働行為であるから、無効である、との申請人らの主張について判断する。
申請人らが、昭和四〇年一一月六日、日韓条約反対の国会請願のための署名集め及び資金カンパと安保条約破棄日韓条約反対日赤病院実行委員会名義のビラ配布を病院の第七号病棟の入院患者を対象として行つたこと(以下これを本件行為という)は、当事者間に争がなく、証人三浦格及び申請人両名本人の各供述及びこれによつて真正の成立を認め得る甲第一六、第一七号証の各記載によれば、申請人田村敬子は、昭和四〇年三月二三日、申請人松本トヨ子は、同年九月一日、それぞれ、病院の従業員で組織されている旭川赤十字病院労働組合(以下単に組合という)に加入したものであつて、本件行為の当時組合員であつたこと、前示証人、本人の各供述及び前示証人の供述により真正の成立を認め得る甲第一二ないし第一五号証の各記載によれば、昭和四〇年九月一〇日頃組合の執行機関である執行委員会は、同年三月開催の組合大会において決議されていた組合の活動方針に基づき、当時全国的に展開されていた日韓条約の国会における批准阻止のための政治運動に組合としても積極的に参加することに決定し、そのための実行委員会を設け、申請人田村は、他四名の組合員(組合執行委員一名を含む)と共に、その実行委員となつたものであり、右実行委員会では、患者をも対象として前記署名集め、資金カンパ及びビラ配布をすることに決め、執行委員会もこれを了承したので、申請人田村は右実行委員会の実行委員として、申請人松本は組合員として右実行委員に協力すべく本件行為を行つたものであること、更に証人佐藤ヒデ(第一回)及び前示本人の各供述によれば、申請人らは本件行為をなすに当り、その対象とした患者の一部の者から、「これは組合でしているのか。」と聞かれ「そうではない。日赤病院実行委員会でしているのである。」旨答えたことが、それぞれ疎明される。
前段判示の事実によれば、申請人らの本件行為は、組合ないし組合執行機関の意思に基づいてなされたものとは言い得るが、その実質からみても、外部に表示された形式からみても、労働組合ないし組合員が労働者の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として行う本来の組合活動ではなく、前示の日韓条約批准阻止運動に寄与することを主たる目的としてなされた政治運動と認められるから、不当労働行為成立の前提となり得る労働組合の行為には該当しないものというべきである(最高裁第一小法廷昭和三四年(オ)第九五三号昭和三七年五月二四日判決、訟務月報第八巻第五号九二六頁参照)。
されば、本件解雇が申請人らにおいて本件行為をしたことの故をもつてなされたものとしても、これに因つて申請人ら主張の不当労働行為が成立する余地はなく、申請人らの前記主張は、爾余の判断をなすまでもなく失当である。
三、次に、本件解雇は、解雇権の濫用であるから、無効である、との申請人らの主張について考察する。
(一) 被申請人は、申請人らの右の主張は、時機に遅れて提出された攻撃方法であるから、その却下を求める旨申立てたが、右申立の理由のないことは、本件訴訟の経過に照らし明白であるから、これを却下する。
(二) さて本件解雇は、被申請人において、申請人らの本件行為を被申請人日本赤十字社の就業規則第九二条第七号所定の「職務に関して不当に金品その他を受取り……たとき」及び同条第九号、第九一条第七号所定の「職員たるの体面を汚し、又は信用を失う行為があつたときで、情状重いとき」の各懲戒解雇事由に該当するものとし、本来ならば、申請人らを懲戒解雇にすべきものと考えたが、申請人らの年令等を考慮して、前記就業規則第五五条所定の普通解雇事由たる「已むを得ない事業上の都合」があるものとして申請人らを普通解雇したことによるものであることは、被申請人の自陳するところである。これに証人水上勝太郎(第一、二回)の証言、これによつて真正の成立を認め得る乙第九号証の記載、証人三浦格の証言と成立に争のない甲第一八号証の記載、原本の存在と成立について争のない甲第二七号証の記載を総合すれば、本件解雇については、申請人らを解雇しなければならぬ「已むを得ない事業上の都合」が実際にあつたわけではなく、名実共の懲戒解雇を避けるための言わば恩恵的名目として「已むを得ない事業上の都合」があるとされたものであつて、本件解雇の実質は、あくまでも懲戒にあることが疎明される。そうだとすれば、本件解雇が有効であるためには、申請人らの本件行為が前示懲戒解雇事由に該当することが必要であつて、然らざる限り、本件解雇は、解雇権の濫用として、無効のものといわざるを得ない。蓋し、このように解しないと、被申請人は、前記就業規則の懲戒解雇規定によることなしに、普通解雇という名の重い懲戒をほしいまゝになし得ることになつてしまうからである。
(三) そこで、申請人らの本件行為が、前示懲戒解雇事由に該当するか否か、を考えてみる。
(イ) 先ず、申請人らの本件行為が、前記就業規則第九二条第七号所定の懲戒解雇事由に該当するか否かで問題になるのは、本件行為のうち資金カンパした点のみであるが、これは、申請人らが前示政治運動のために患者から金銭の拠出を受けたものであつて、申請人らが病院の職員ないし看護婦としての職務に関して金銭を受取つたものではないこと明らかであり、従つて申請人らの本件行為は、前記就業規則第九二条第七号所定の懲戒解雇事由には該当しないものというべきである。
(ロ) 次に、申請人らの本件行為が前記就業規則第九二条第九号、第九一条第七号所定の懲戒解雇事由に該当するか否か、について考えてみる。
思うに、病院に入院している通常の患者の最大関心事は、病気の治療に在ることは当然であり、入院患者としては、病院の職員就中医師や看護婦に対して、自分の病気治療にとつて適切で、且つ、親切な取扱をしてくれることを期待すると共に、そのようにしてくれるものとの信頼を寄せるのが常であつて、この期待と信頼に答えるところに病院の職員就中医師や看護婦の面目が存するものというべきである。されば、病院の職員就中医師や看護婦が、入院患者に対して、その病気の治療と直接の関係がないことで、その心身を労するようなこと、ないしは患者に金銭的負担のかゝるようなことを所望する行為は、たといそれが如何なる目的に出たものであつても、入院患者の前記の期待と信頼を裏切るのが通常であつて、入院患者としては心外のことというべく、而も入院患者は病気の治療ないし看護をしてもらう関係上病院の職員就中医師や看護婦による右のような心外の行為に対しても、これをむげに拒否できない弱い立場に在るものであり、また、該行為の対象とされなかつた患者でも、かえつてその対象とされなかつたことの故に、その対象とされた患者と差別して取扱われるのではないかという不安と懸念を覚えることもあるべく、従つて病院の職員就中医師や看護婦の前記の如き行為は、たといそれが入院患者の弱味を利用しようというような反道義的な性質を帯びていないものであつても、それが病院職員に寄せられる前記の期待と信頼に何の消長も及ぼさないと認められるような特段の事情があれば格別、しからざる限り、それは、病院の職員としての体面を汚し、信用を失わせる行為であるといわなければならない。
これを本件についてみるに、証人佐藤ヒデ(第一回)、小野寺トシ、今野勝子の各供述、これによつて真正に成立したものと認められる乙第一ないし第三号証、前示甲第一二ないし第一五号証、前示甲第二七号証、成立に争のない甲第二八号証、証人水上勝太郎(第一回)の証言により真正に成立したものと認められる乙第一四、第一五号証の各記載並びに申請人両名本人の各供述によれば、次の事実が疎明される。
病院の第七号病棟は、開放性結核患者を収容している二階建て病棟であつて、本件行為のなされた当時この病棟には五十余名の患者が収容されていたが、その大半は長期療養を要し経済的に困窮していた者である。比較的軽症の患者は、二階に収容されているが、その病室はいくつかの個室といくつかの合部屋になつている。申請人らは、第七号病棟の患者の看護を担当していた看護婦であるが、申請人らが本件行為をしたのは勤務時間外であつて、申請人田村は当日午後三時半頃から、申請人松本は当日午後四時半頃から、いずれも看護婦の制服を着用のまゝ前記病棟二階の個室一室、合部屋数室を順次にまわり(たゞし個室をまわつたのは申請人田村のみ)、計二〇名足らずの患者に対し、前記ビラを配布し、前記趣旨の署名と資金カンパを懇請し、合部屋の一部患者の問いに対して、「日韓条約は、日本がやがてまた戦争政策をとるための一環として結ばれるものだ。戦争になれば、日赤は戦争に医療団を派遣する。そうすれば、あなた方の医療は、顧みられなくなる。戦争になつた場合一番かわいそうなのはあなた方ですよ。」という趣旨のことを言つて説得した。しかし「資金カンパについては、無理しないでほしい。」と付け加えて、患者に経済的負担があまりかゝらないように配慮した。申請人らに署名と資金カンパを懇請された患者は、一、二名の者を除き、申請人ら所望のとおり請願書に署名してくれ、且つ一〇円ないし一〇〇円宛拠出して資金カンパにも応じてくれた。しかしながら、右署名と資金カンパに応じた患者の多くは、日頃自分らの世話をしてくれる看護婦の懇請だからというので、仕方なしにこれに応じたものであつて、申請人がかゝる行為をしたことについては不満と不安を感じ、病院当局に対し即日申請人らのした行為についての釈明を求め、かゝる行為は患者にとつて迷惑であるから、止めさせてほしいと申出る者も現われた。なお、申請人らの本件行為は、申請人らがその対象としなかつた患者の間にもそれはそれなりの不満と不安を喚起した。
ところで、申請人らのした本件行為が、入院患者の病気の治療と少くとも直接の関係のないものであることは勿論であり、前段認定の事実によれば、本件行為のうち、日韓条約反対の国会請願のための署名集め及び資金カンパをした点は、入院患者に対し何程かの心労と金銭的負担をかけ、これに因つて入院患者が病院職員としての看護婦に寄せている前叙の如き期待と信頼をそこなつたものであることは明らかである。されば、申請人らの本件行為は、病院の職員たるの体面を汚し、その信用を失わせたものといわなければならない。
そこで進んで、申請人らが本件行為をしたことの情状について考えてみる。
1 申請人らの本件行為は、国会における日韓条約の批准阻止のための運動に寄与することを主たる目的としてなされた政治運動と認むべきことは、既に述べたとおりであつて、申請人らが私利益のためにこれをしたものでないことは明白である。政治運動としての本件行為の目的が右の如きものであつたという点は、病院職員としての体面を汚し、信用を失わせた行為としての本件行為の情状としては、これを重い情状とも、軽るい情状ともみることができない。
2 申請人らのした本件行為の具体的態様については、既に認定のとおりであるが、これによれば、申請人らは本件行為をなすに当り、その対象とした患者に対し、唯単に前記趣旨の署名と資金カンパを懇請したというに止まらず、長期療養をせねばならぬ而も経済的に困窮している患者にとつては若し申請人らの言うとおりとすれば困惑してしまうようなことまで申し向けて説得したのであるから、患者の弱味に乗じて目的を達しようとした節が全く無いとは言えないが、他方申請人らは、極めて間接的にはせよ、本件行為が患者のためにもなるものと信じていた如くであり、申請人らの本件行為に不満と不安を感じた患者についても、その不満と不安は、前示乙第二、第三号証の記載によれば、病院側で患者に陳謝し、且つ、向後二度とかゝる行為のなされることのないよう病院職員に厳重に注意をしてくれさえすれば概ね解消する程度のものであつたと認められるし、また、前示甲第二七号証の記載、証人水上勝太郎(第一、二回)、三浦格の各供述によれば、病院内で積極的に患者を対象として資金カンパがなされた事例は今までなかつたことが疎明されるが、証人三浦格、関タカ子の各供述及び成立に争のない甲第一九号証の記載によれば、従前も組合が組合員ないし病院の一般職員を対象として何らかの目的で資金カンパをした際、その趣旨に賛同した患者が自ら進んでこれに協力した事例が何回かあつたことが疎明され、前示甲第一二ないし第一五号証の各記載、証人三浦格、関タカ子、申請人両名本人の各供述によれば、申請人らは、患者を対象として本件行為のようなことをすることが病院職員ないし看護婦たる者として不可なる所以に気付かずに唯一途にその目的が正当であればよいと考えたために本件行為に出たものであることが疎明され、結局のところ、申請人らが本件行為をしたことに因り入院患者にかけた心労ないし金銭的負担の程度は、入院患者が病院職員としての看護婦に寄せている前示の如き期待と信頼を大きく失わせてしまう程に重大なものであつたとは認められない。
3 証人水上勝太郎(第一回)の供述、及びこれにより真正に成立したものと認められる乙第一三号証の記載によれば、申請人らのした本件行為は、患者の精神の平静を乱し、結核の療養上障害となるものであることが疎明されるが、右障害の具体的な程度については適格な疎明資料がなく、本件行為の如き行為でも軽症患者を対象とした一回限りのものであれば、その程度は微々たるものと推測される。
4 証人水上勝太郎(第一回)、今野勝子の各供述及び前示甲第二七号証、乙第一三ないし第一五号証の各記載並びに申請人両名本人の各供述によると、申請人両名は、本件行為をした日の翌々日たる昭和四〇年一一月八日と翌九日の二回に亘り、院長の命を受けた事務部長や看護部長から、申請人田村は更に翌一〇日に院長自身から、本件行為をしたことについての釈明を求められたが、終始一言も応答せずに黙秘し続け、申請人松本の如きは前記九日に院長から直接会いたいとの連絡があつたのに電話で院長に対し「行く必要がない。」と断り、院長が「五分でもよいから会つてくれないか。」と言つたのに対し、「会う必要がない。」と言つて一方的に電話を切つてしまつたことが疎明される。院長が右の如く申請人らに対し本件行為についての釈明を求めたのは固より当然のことであり、これに対して申請人らの執つた前示の如き態度は、病院の職員たる者の執つた態度としては不当不遜のものといわざるを得ず、申請人らが本件行為の非を全く認めないものとみてとつた被申請人が、勢い、申請人らの解雇に出たのも無理からぬとの感がないではない。しかしながら証人三浦格、申請人両名本人の各供述並びに申請人ら弁論の全趣旨によれば、申請人らが右の如き態度を執つたのは、組合の執行部と相談しその指示に基づいたものと推測されるのであつて、一がいに申請人らだけを責めることはできず、申請人らがいやしくも正規の看護婦たる以上、その内心においても、本件行為をしたことにつき顧みて自分らに全く非がなかつたと考えているものとは思われない。なお、申請人らが本件行為をした昭和四〇年一一月六日は衆議院特別委員会において日韓条約案件が抜打的に可決された旨が報道され、また、同年同月八日から一〇日にかけては衆議院の本会議における日韓条約案件の審議において与野党が激しく対立していることが連日連夜報道されていたことは公知のとおりであつて、申請人両名本人の各供述によれば、日韓条約反対の立場に立つ申請人らとしては、そのことでかなり緊張、興奮した精神状態に在つたことが充分に窺われ、このことが申請人らをして日頃組合と鋭く対立している病院側(右対立の点は申請人ら援用の証人の各供述によつて疎明される)に対し前示の如き態度を執らしめる一因をなしたものとも考えられなくはない。いずれにせよ、この点は本件行為自体についての情状ではなく、本件行為後の情状であるから、これをあまりに重視すると当を得ない結果を導く恐れがある。
5 申請人らの本件行為は、申請人らの個人的発意によるものではなく、組合の執行委員会の意思に基づいているものであることは、既に述べたとおりである。被申請人は、申請人らが本件行為をしたことにつき、申請人らのみの責任を追求する態度を執つていること弁論の全趣旨に徴して明らかであるが、右のとおり申請人らの本件行為が組合執行機関の意思に基づくものである以上、本件行為につき申請人らのみに対し、而も重い懲戒責任を問うのは、いさゝか片手落の感を免れない。
以上1ないし5に挙げた事実、その他本件全疎明資料から窺われる本件行為についての諸般の事情を総合すると、申請人らが病院の職員としての体面を汚し、その信用を失わしめたものとしての本件行為についての申請人らの情状は、重いものと断ずることはできない。
されば申請人らの本件行為は、前記就業規則第九二条第九号、第九一条第七号所定の懲戒解雇事由にも該当しないものといわざるを得ない。
(四) 以上のとおりにして、申請人らの本件行為が被申請人主張のいずれの懲戒解雇事由にも該当しない以上(二)で説示の理由により、本件解雇は爾余の点を考慮するまでもなく、被申請人が解雇権を濫用して行つた無効のものといわざるを得ない。
四、そうだとすれば、申請人らと被申請人との間には、本件解雇の意思表示がなされて以降も雇用契約関係がなお依然として存続し、申請人らは、被申請人に対し右契約に基づく権利を有しているものといわなければならない。
五、次に、仮処分の必要性について考えてみる。
申請人ら本人の各供述及び弁論の全趣旨によれば、申請人らはいずれも資産を有しない労働者であつて、被申請人から支払を受ける賃金のみを以つて生計を維持しているものであり、被申請人から本件解雇の意思表示を受け病院での就労を拒否されて以降、どこにも就職せず、組合が組合員ないし病院の一般職員から申請人ら救援のための資金カンパをして調達する金員の中から、すぐ後に示す申請人らの本俸額程度の生活費の貸与を受けて今日に至つていることが疎明され、成立に争のない甲第二ないし第六、第八ないし第一一号証、乙第四号証の一、二の各記載によれば、本件解雇の意思表示がなされた当時における申請人らの被申請人から支払を受けていた賃料月額は、本俸いずれも一万九七三〇円、それに超過勤務手当、特殊勤務手当、宿日直手当が加算されたものであつて、申請人らの手取額、すなわち右本俸と諸手当の合計金額から源泉徴収される税金及び各種社会保険料を差引かれた残額は、申請人両名とも、少くとも二万二〇〇〇円以上であつたことが疎明される。右賃料の支払日が毎月一六日であることは当事者間に争がない。
前段認定の事実によれば、申請人らは本件解雇により生活に困窮を来たし著しい損害を被りつゝあるものと認められるから、これを避けるための仮処分を必要とすることは明らかであり、組合から前示の如く生活費の一時的な救援を得ているからといつてこれを否定し得ないことはいうまでもない。たゞ、前認定の事実並びに本件全疎明資料から認められる本件諸般の事情によれば、右仮処分の方法としては、被申請人に対し申請人らが雇用契約上の権利を有することを仮に定めると共に、被申請人に対し申請人らが本件解雇の意思表示を受けた日の翌日たる昭和四〇年一一月一四日以降本判決言渡の日である昭和四一年四月一二日までの間の申請人らの賃料中前示手取金額の範囲内である月額二万円の割合によるものにつき、既に支払期の到来した昭和四一年三月三一日までの分については即時、その余の分についてはその支払期日たる同年四月一六日に、それぞれ申請人らに支払うべきことを命ずれば充分であつて、本判決の言渡があれば被申請人は本判決に従つて申請人らを一応就労せしめ、従つて当然にこれに対する賃金の支払もするものと期待できるから、本判決言渡の日の翌日以降の賃料についてまで被申請人にその支払を命ずる必要はないものと認める。
六、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用する。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 宮崎富哉 山木寛 青木昌隆)